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あなたが着ているフクのレキシ、知ってますか? 現代で着られている服には、誕生した理由や今も愛される理由があります。ただ着るだけじゃない、その服が持つ本当の意味を知れば、さらに服のことを好きになれると思うんです。当ブログ「フクノレキシ」では、その名の通り[服の歴史]を紹介していきます。ちょっとした話のネタにでもしていただければと思い、このブログを始めました。 管理人はDコレクションスタッフ:タツヤです。以後お見知りおきを。
第1回のテーマは【ジーンズ】です。昨年からのノームコアスタイルを筆頭に改めて注目度が増しているアイテムですが、ほとんどの人はすでに持っているのではないでしょうか?昔から愛し続けられる定番アイテム、今回はそんなジーンズについて詳しく語りたいと思います。
そもそもジーンズ(jeans)とは、デニム生地をつくったパンツという意味で、語源はフランス語「serge de Nîmesセルジュ・ドゥ・ニーム」から派生しているものだそうです。今ではジーンズもデニムも同じような意味合いで使われていますが、ジーンズ史の初期では特にデニム生地製のパンツという意味合いで使われていました。 日本では略称としてGパン(ジーンパンツ)や、Gジャン(ジーンジャンパー)と言う風に呼ばれたりもします。
ジーンズが生まれたのは1870代のアメリカでした。当時の作業者の多くはすぐに擦り切れて使えなくなる作業着に不満をもっていました。そこで登場したのがジェィコブ・デイビスが作ったパンツです。 このパンツの特徴はリーバイ・ストラウスという織物商人から仕入れた丈夫な帆布と、リベットと呼ばれる金具をポケット脇に打ち付けてあることで、今までにない耐久性のあるパンツであったことです。その後ジェイコブとリーバイは2人でこのパンツの特許を取得し、本格的に大量生産を開始します。これが今でも有名なジーンズメーカー「リーバイス」の誕生です。 長く使えるリーバイスのデニムは、アメリカの作業者に愛され、今でも認知度の高いアイテムとなったのです。
リーバイスのジーンズが売れるようになったきっかけは先ほども話した通りですが、その背景にはアメリカのゴールドラッシュがありました。 ※ゴールドラッシュ・・・1848年ごろから鉱山で金が大量に取れるようになり、新しい土地へ金を求めた多くの作業者が殺到した。歴史的にはカリフォルニア州で起こったゴールドラッシュを指すことが多い。 暗い鉱山を掘って金を掘り出すわけですが、足元には多くのガラガラヘビが生息していました。そこで、ヘビや虫が嫌うピレスロイドという成分を含んだインディゴで染めるようになったのです。デニム生地のもともとのカラーは白(色落ちしたデニムは白くなりますよね)で、ジーンズに仕上がる過程で藍色に染色しているのです。 染色というより、「ヘビ避け加工」という感じだったのでしょう。それが現代でも残る、ジーンズ特有の[インディゴブルー]というわけですね。 ※へび避けのインディゴ染め・・・実際には微量なインディゴではガラガラヘビを完全には避けてくれなかったとか・・・どちらかというと汚れが目立たないという理由で購入する人が多かったそうです。 こうして現代でも残る「ジーンズ」=「リーバイス」となり、501などの伝説的なアイテムも発売され、リーバイス社のアイデンティティーが確立されていきました。そうしてリーバイス製のジーンズがスタンダードな基準となっていきますが、501発売開始から20年経ち、リーバイスが取得していた「リベット」の特許期間が切れ、多くの会社がジーンズ業界に名乗りをあげていくことになります。
1900年代初頭、リーバイスを真似たブランドなどが数多く現れました。そのほとんどが現在まで残るには至らず、ワークウェアブランドとして生き残っていったのがアメリカのカーハートやオシュコシュで、現在でも有名です。この時代ではまだジーンズは「ワークウェア(作業着)」として着られており、ファッションブランドとしては確立されていませんでした。 ただ、鉱夫だけではなく、その丈夫さが評価された結果カウボーイのような当時の人気職業でも使われるようになり、リーバイスのジーンズはさらに有名になっていきます。有名なLEEもカウボーイ用のジーンズを販売するようになりました。その後1930年ごろからレディースジーンズも発売され、男女分け隔てなく浸透していきました。 ※レディースジーンズ・・・もとは作業着であったジーンズが女性に浸透するには、かなり遅れがありました。 1940年代には第二次世界大戦がはじまり、アメリカも物資統制で品質の高い商品が困難になり、リーバイスもリベットやステッチを安価なものにしたりしましたが、オンス(簡単にいうと生地の厚み)を下げることだけはかたくなに拒みました。その一方でLEEはアメリカ政府から軍需用品の生産を請け負い、物資統制の波の中にあっても新しいシルエットの製品を開発していきました。 より都会的で洗練されたシルエットの製品で、リーバイス501のようなデザインのジーンズはフィット感がよく、ワークウェアからカジュアルウェアとしての変換期となったのです。
戦後経済大国となったアメリカの中で、ラングラーなどの新たなメーカーなどの誕生もありジーンズのカジュアル化は進みます。1950年代に入り、ハリウッド映画が飛躍的に人気を得たころ、名優マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンが劇中でジーンズを履いたことで、若者文化の中にジーンズがファッションとして取り込まれるようになります。 それに伴い各メーカーもこぞってカジュアルウェアブランドに参入していき、現在のようなファッションアイコンとしてジーンズが認識されるようになったのです。1960年代にはリーバイスやLEEがヨーロッパに進出し、モッズムーブメントの中でもジーンズが使われていました。60~70年代にかけてビートルズやローリングストーンズといった音楽カルチャー内にも普及し、さらに一般層への浸透を見せます。 60年代後半からは「ラブ&ピース」を主張するヒッピームーブメントがアメリカを始め世界中で広がりをみせ、各時代の文化とジーンズは切り離せないというまでに若者文化に深く交わっていきました。70年代以降、ヒッピー文化の終焉のころには、デニムはファッション界に大きく貢献していました。
1970年代からはイブ・サンローランをはじめとして、数々のコレクションブランドがデニム生地を使用したアイテムを発表。デニムがワークウェア、カジュアルウェアときてついにハイブランドに加わりました。イブ・サンローランは「ジーンズを私が世の中にだすことができなかったことが残念でならない。」という言葉を残したといわれるほど、ジーンズは洗練された機能美をもったファッションアイコンとなりました。 それから現在に至るまで、ジーンズは幅広く社会に浸透し、身近なファッションアイテムとして認識されるまでになりました。それはこれからの時代も変わらずあり続ける事でしょう。
出典:eshop.kojima-genes.com 敗戦後の日本。GHQから届いた支援物資のなかに、中古のジーンズがありました。そして勝利国であるアメリカの文化が流れ込み、同時に「ジーンズ」という文化も日本に上陸しました。日本ではじめてジーンズを着用したのはかの有名な白洲次郎であるとも言われていますが、日本は選ぶことができない中で、ジーンズに出会いました。 その後はジーンズが日本でも流行となり、日本でも輸入代理店やデニムを生産する会社もできました。日本で有名なのは岡山・倉敷です。マルオ被服(ビッグジョン)は日本で初めて受託生産からジーンズをつくった会社として名を残し、今では児島ジーンズとして通をうならせます。今でも岡山は日本ジーンズの聖地としてジーンズファンから愛されています。
オシャレが好きな人でジーンズ(デニム)が嫌いなんて人はいないのではないでしょうか?ジーンズって普段から目にしますが、実はこんなに奥深い歴史があったんですね。もとから古着が好きで、リーバイスやラングラー、リーのジーンズもよく収集してました。最近ではグッと着ることが減ったユーズドのジーンズ・・・たまには古着を使ったコーディネートを考えてみようと思います♪ それでは次回をお楽しみに(´∀`)
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